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無邪気。
2008 / 03 / 04 ( Tue )
実は再びネコを飼うことに私は反対をしていたんだ。。。

先代ネコのルルは、結婚してまだ間もない頃、夫が拾ってきたんだ。
ペットを飼ったことがなかった私に戸惑いはあったものの
つぶらな瞳でこちらをみつめ、ミーミーとか細い声で泣く仔猫を
夜の冷え込みも厳しくなってきた11月の寒空の下にまた
置き去りにして来いとはとても言えなくて
ルルとはその日を境に約18年、生活を共にすることになったわけだ。

ネコを飼っていれば世話をするのは当たり前のことだけど、
毛は抜けるし、トイレの砂は散らかすし、毛玉は吐くし…
それなりの手間がかかる。

でもそれは自分の家庭を持ったばかりの若かった私にとっては
すぐに当たり前の日常になっていき
とりたてて大変だとか、面倒だとか思うこともなかったんだ。

だけど、一昨年の4月、突然ルルは天に召された。

その頃の私は股関節の手術の直前で、まさに痛みのピークだったわけだけど
ルルがいなくなってみたら初めて
ネコのいない暮らしは私の脚にとって、ものすごく楽なことだということが
よくわかってしまった。。。

もちろん、ルルがいない方がいいなんて思ったことはなかったよ。
でも掃除機やモップを2~3日かけないでいると
廊下の隅や階段にたっぷり綿ぼこりが積もったんだ。。。
ルルの毛は長くてからみやすい毛だったからね。

ところがルルがいなくなったら、1週間掃除をさぼったぐらいじゃ
あんな綿ぼこりにはならないじゃないか。
綿ぼこりの正体はもちろんネコの毛ばかりじゃなかったかも知れない。
子供たちも成長して家の中を飛び跳ねる者がいなくなったということもあったかもしれない。

ルルが突然(と言っても18年も生きて老衰だったわけだけど)死んでしまったのは、
もしかしたらルルが私に負担をかけまいとしてくれたのかな、などとも思えたんだ。

ルルがいなくなったことで私が楽になった。。。

それはさんざん私たちを癒してくれたルルに対してとても申し訳ない気持ちでもあり、
だからまた再びネコを飼うことになったら、
今度は逆にネコのいる暮らしが苦痛と感じてしまうかもしれない。。。
そんな風に思いながらネコを可愛がれる自信なんて私にはなかったんだ。


ところがなんと言う縁だろうか。。。

夫の友人の家の近くの動物病院で、ラグドールの仔猫の里親を募集しているというじゃないか。
ほんの数日前にペットショップで見て、私たちは初めてラグドールという猫種を知り
可愛いねなんて話したばかりだったんだ。

ラグドールがもらえる。。。
しかも友だちのつてで。。。
このタイミングで。。。

夫はもう欲しくて欲しくてたまらない様子だし、ハムスターの最後の1匹の“わいん”が死んで
子供たちにとっては初めて家にペットがいない状態だったし
新しいペットを迎えるには絶好のタイミングだと思えたんだ。

そして再びネコとの暮らしが始まった。

確かに私が掃除機を手にする頻度は上がった。
「そうじはオレがするからぁ~」と猫なで声でおねだりした夫も
仕事でいつも家にいないのだから、掃除などする訳もない(笑)。

でも、ルルが死ぬ直前とは違う。
痛かった私の右脚に痛みはなくなり、
昭和生まれのルルの妹だった平成生まれの娘たちは、新参ネコ・ココアの姉になった。

不安と共にスタートしたココアとの暮らしもひと月が過ぎ
すっかり自分の名前も覚えたココアは、そんな私の気持ちなどわかるはずもなく
お腹がすけば私の足元に擦り寄ってはゴロリと床に寝転び白い腹を見せる。

娘たちも思春期を迎え、さまざまな悩みを抱えるようになった今、
ココアの“無邪気”がたまらなく愛しい。
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テーマ:猫のいる生活 - ジャンル:ペット

21 : 40 : 04 | 思い | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
回想録。。。あれから今日で一年です。
2007 / 07 / 11 ( Wed )
去年の今頃はもう手術が終わっていた頃だろうか。。。

あの日は朝一番の手術で、8時半に手術室に入室することになっており、
朝食後同室の方々とおしゃべりをしていたら看護師さんに呼ばれ
あれよあれよという間に事は進み、気付いたら手術が終わっていた、そんな一日だった。

手術前、肩にうった予備麻酔がすぐに効いてその後主人と交わしたはずの会話もよく覚えていない。
覚えているのは手術室の入り口で冷たい風に当たったことと、
頭の上から私を覗き込む美人麻酔医の大きくてきれいな目と
壁に私のレントゲン写真と人工骨をはめる角度などが書いてあるらしい設計図が貼ってあったこと。
その次の記憶はもうストレッチャーに乗せられて手術室を出る場面だ。

術後、まだ麻酔が覚めきらない時に、執刀医の先生が様子を見に来られたとき
私が先生に話したことはよく覚えている。

「先生、お休みの日にどこか海でも行かれたんですか?」

手術直後の患者がそんな突拍子もないことを言うのが可笑しかったのか、
先生は笑いながら答えてくれた。

「え? あ~、海じゃなくて山だよ。ゴルフに行ったんだ。」

いつもは色白な印象のある先生が日焼けをしていたのが、入院してからずっと気になっていたけど
大きな手術を控えて忙しそうな先生に、そんなプライベートなことを尋ねるなんて
手術を受ける患者として、あまりにも緊張感がなさすぎでふざけてると思われたくもなく
聞いてみたかったけどずっと聞けないでいたんだ。

今思い出してみても、手術直後に自分の足のことより先生の日焼けの原因の方が気になるなんて
いかに私がリラックスして手術を受けられたかということが自分でもよくわかる。

最初の三日は確かに辛かった。
だけどカラダの中にあんな異物をいれるんだもの、しばらく痛いのは当然、熱が出るのも当然、
そう思っていたし、
ブログを読み返してみても、翌日には膝を立てられて、翌々日には寝返りが出来て車椅子にも乗り、3日目にはリハビリが始まり、4日目には自分で売店にアイスクリームを買いに行っていた。。。
今となっては痛かったことなんかより、毎日どんどん回復することがただただ嬉しかったことしか覚えていない。
手術の痛みだけしか覚えていなかったら、膝の手術なんて受けようとも思っていなかっただろう。(笑)

あれから一年。本当にあっと言う間の一年だった。

***

今更だけど、一年前を思い出しつつ、これから手術を受ける方へ参考になればと思い、
入院生活を楽しく過ごすためのアドバイスをいくつか書いてみた。
よろしければ、ご覧下さい。

  ↓↓↓
続きを読む
16 : 02 : 28 | 思い | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
私だったかも知れないんだ。。。
2007 / 02 / 04 ( Sun )
自分が元気だった頃は、周りにも元気な人しかいなくって
障害のある人をもちろん差別する人になんかならないぞ、とは思っていたけれど
実際は障害者の方と接する機会もとっても少なかった。。。
でも、自分がいざ障害者になってみたら、周りにはこんなにもたくさんの
不自由な人がいたんだということに初めて気付かされたんだ。。。

それはきっと元気な頃には、私の目は半分しか開いていなかったようなもので
私の視野がいかに狭かったのかということを思い知らされる。

   * * *

この前プールに行った時、初めて会った車椅子の女性がいたんだ。
その方は脚だけでなく、手にも言葉を発することにも不自由があるようだけど
プールまで30分ほどかかる近くの市からご自分で運転して来られるのだとのこと。。。
人なつこそうな優しいお顔をした女性だった。
両腕に“うき”をはめて背浮きをしながら泳いでいた。
自力では水の中でも立てないくらいなのに、不自由な両腕で一生懸命水をかいていた。

彼女がプールの端に到着した時、目が合ったので話しかけてみた。。。
「なかなか早いですねぇ!」と。すると彼女は笑顔で
「みなさんが歩くと流れが出来るから、それに乗っているからですよ。」
きっと不自由な腕で水をかくのは私の何倍も大変なことだろうに
彼女の笑顔は明るく、とても楽しそうに見えた。

「それじゃ、私も一生懸命グルグル回らないとね(∩_∩)! 気をつけて頑張ってください!」

返って来た笑顔が、なんだかとても眩しく見えたんだ。。。


    もし私が彼女のような障害を持って生まれていたら、
    あんな笑顔を返せただろうか。。。

   * * *

私はよくこんなふうに思うんだ。。。

カラダは魂の入れ物で、そのカラダと魂の組み合わせをするのが神様なのかもしれない、って。
(まぁ、そもそもあまりカミサマの存在を強く信じているわけでもないけどね。)

私の魂には、このカラダがあてがわれた。。。
その組み合わせは他の誰とも取り替えることはできない。
健康なカラダをもらった魂も、不自由なカラダをもらった魂もいて
神様のいたずらというのか、与えられた試練というのか、それぞれそれなりに
生きなくてはならないんだよね。

今は不自由になってしまったけど、それは私の運命だったわけで、
その不自由な体を操れるのは他でもないこの私だけなんだよね。
だから、私の魂が、心が、いじけていてはカラダの方がかわいそうだと思うんだ。


   * * *

神様は、プールで会った車椅子の彼女の魂に、あえてあのカラダを組み合わせたんだろう、
なんて思えたんだ。
彼女の魂なら、あのカラダを大事にしてくれる、って
彼女は選ばれた魂なのかもしれない、って思えたんだ。
それくらい彼女の笑顔が私にはステキに見えたんだ。。。

じゃあ、私はどうなんだろう? って考えた。。。

私が不自由になったのはここ数年のことで、まだ自分の急激な症状の変化に
心が対応しきれていない、というのが正直なところだ。
不自由でなかった時期が長かったからまだ、どうして私が?という悔しい気持ちが
強く残っている。。。

でもようやく、神様が決めた魂とカラダの組み合わせの妙を
楽しまなくちゃと思えるようになってきたところ。


ちょっとしたタイミングで、神様の選択は違っていたかもしれない。。。
もしかしたらプールの彼女のカラダに私の魂が組み合わされていたのかもしれない。
そう、私が彼女だったのかもしれないんだよね。

私の魂が彼女のカラダに組み合わされていたら、
あんなふうにあのカラダを動かしてあげられただろうか?
彼女の魂は、彼女のカラダを動かすことにあんなに頑張っている。。。
彼女はすごいなぁ。。。偉いなぁ。。。って思ったんだ。

そんなふうに考えたら、なんだかとても彼女を大切にしてあげなきゃ、って気持ちになったんだ。

私が他の誰かだったかも知れない可能性は、彼女だけでなく
同じ時代に生きているすべての人に及ぶわけで
そう、もしかしたら今これを読んでいるあなたのカラダに私の魂が
組み合わされていたのかも知れないんだよね。

みんなみんな大事な人。私だったかも知れない大切な命。
そんなふうに思わせてくれた彼女に感謝して、思いやる気持ち、大切にしていきたいし
心を強く持って、このカラダとうまく付き合っていかなくちゃいけないな、と
改めて思ったんだ。
01 : 49 : 33 | 思い | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
偏見。
2007 / 01 / 30 ( Tue )
なんだかなぁ。。。
これが“世間”なんだろなぁ。。。

さっきお昼を少しまわった頃、
昔住んでた家に出入りしていた植木屋さんのおばさんが訪ねてきたんだ。
「お母さん、元気にしてる?」って。
あの。。。一昨年のお正月に亡くなったんですが。。。

そのおばさん(87才ですと!)、それは驚かれてひとしきり母との思い出話をしたあとに
今度は自分の話をし始めた。
そりゃ、昔はうちも世話になったかもしれない方だけど、
それはもう16年も前に住んでいた家のことで
娘だった私としては話に聞くだけの知らない人なわけだし、
でも無碍に追い返すのも悪いと思って話を聞いてたんだけど
突然訪ねてきたかと思ったら自分の不幸話はじめたわけでしょ。。。
私、不幸自慢大会好きじゃないんだよね。。。

「あなたは丈夫そうねぇ。」とか言いながら自分の具合の悪さばかり話すから
寒いし、お腹すいたし、いい加減に話終わりにしたいから、
それじゃあトドメ刺したろか!とばかりに。。。

「そうでしたか。。。大変でしたねぇ。。。
 私、丈夫そうに見えますけどココに人工関節が入ってるんですよぉ。」

なんて話したら目を丸くして
「へぇ、見た目じゃわからないわねぇ。でもちょっと金具が入ってるぐらいでしょ?」
なんて何にも知らないおばさんの“大したことないじゃない?”みたいな口ぶりにカチンときたから
「(手で関節の大きさを示して)これくらいの金属がガッツリ入ってますよ~!
 子どもの頃からアグラかけないし、今は膝も悪くて椅子にしか座れないし 。。。(以下省略(笑))」
って、軽く、あくまでも明るく不幸自慢返ししてやったら。。。

終わった。  ( ̄▽ ̄)ノ_彡☆バンバン!
お年寄り相手に不幸自慢するのもなんだけどね。。。
だけどさ、おばさん、帰り際に言ったことばがまたカチンときたんだよね。。。

「脚の悪いこと、近所の人とかに知られてないんでしょ?
 見た目じゃわかんないんだから、あんまり人には言わないほうがいいわよぉ。」

  (ー_ー#)ムカ! 何それ? 思わずマジ切れ寸前!

「は? 何でですか? そりゃわざわざ“私は脚が悪いですよ”なんて言いながら歩きませんけどね。
 ちょっと前までは杖も突いてたし、杖ついてるのを見てりゃわかるでしょうねぇ。」

そしたらおばさん何て言ったと思う?

「そうねぇ、杖ついてたことを人に何か言われたら“スキーか何かやってて怪我した”って言えばいいのよぉ。」

だって。。。。。。呆れた。何それ?
スキーで怪我するのは恥ずかしくなくて、生まれつき脚が悪いのは隠すべきことなんですかぃ? え゛?
。。。なんて突っ込んでやろうと思ったけど、

「え? 何でスキーだんて言わなきゃいけないんですか?」

って言ったら、おばさん、返す言葉が見つからなかったようだったよ。
まぁ、んなことムキになって話しても、この人にはわからんだろうと思ったから
それくらいでやめといたけどね。
そうそう、いくらアタマにきてもこういうことはムキになって怒っちゃダメ。
もちろん笑顔で言ったほうが相手に刺さるみたいなんだな、これが。(笑)

おばさんに
「今日はたまたま近くに用があって寄ってみたけど、今度はお線香上げさせてくださいね。」
なんて言われたけど、悪いけど、この人とはもう話したくない。

そうなんだろうなぁ。。。
まだまだいるんだろうなぁ、こういう身障者を“カタワ”扱いする人。
障害を恥ずかしいものだと思っている人。。。

いっそのこと、こういう人には「私は身体障害者です」なんて言ったら
気味悪がって近づいて来ないかも知れないから、言ってやろうか!って思ったぐらいだわよ。


まだまだだねぇ。。。。日本人の意識改革。。。ヽ(ー_ー )ノ
14 : 09 : 53 | 思い | トラックバック(0) | コメント(10) | page top↑
「安心」評。
2006 / 12 / 05 ( Tue )
なんだか股関節ブロガーの皆さんが買って読んでいらっしゃるようなので、
私もついつい気になって買ってしまった。
   「安心」 。。。(笑)

さて、皆さんはこれをどんなふうに読まれただろうか。。。

私は、あえて皆さんからのご批判を覚悟して、
この特集についての私なりの感想を書かせていただこうと思う。

        ***

私は、この手の健康雑誌があまり好きではない。
 (ダイエットの特集などにつられてたまには買ってしまうこともあるが(^^ゞ)
健康に関するブームを巻き起こし、
迷える人々を一つの方向に向けさせている出版社の策略のようなものを感じる。

あれだけ流行った“カスピ海ヨーグルト”や“寒天ダイエット”を
いまだに続けている人はいったいどれくらいいるのだろうか?
そう考えると、果たしてどこまで記事を信用していいのか疑問が残る。

一つのきっかけとして、自分にあった健康法が見つかれば良いのだが
ただ流行に流されるだけで終わってしまっている人も多いのではなかろうか?

こういう雑誌を眺めていると、どうしても私にはその昔、
紅茶キノコを大事に育てていた祖母の丸い背中がまぶたに浮かぶように思い起こされる。
あれは、いったいなんだったんだろうか。。。


しかし、今回の特集は“股関節”。
さすがの私も、これにはどんなことが書かれているのか興味がわき、
ページをめくらずにはいられなかった。

         ***

一通り目を通してみた。
はっきり言おう。

残念。やっぱり。。。というのが率直な感想。

それぞれの先生方の記事に対してではない。
参考になることは沢山書かれていた。
これを見ながら私も体操しなくちゃ、とは思うし
手術を避けたい方は、どうぞよくお読みになって欲しいとも思う。

しかし。。。。。

あまりにも書き方が一方的ではないか?
「手術は恐い」、「手術で治る保証はない」、
「手術する必要はない」、「手術をしなくて済んだ」。。。。

ここに書かれていることが果たしてすべての股関節症の人に
有効な治療法かと言ったらそれは違うと思うし
股関節症についての情報を知りたい人にとっては実に不十分な特集だと思った。

第一、どこにも人工股関節にすることのメリットもデメリットも詳しくは書かれていないし
人工股関節の手術を勧める整形外科医の意見も書かれていない。
あたかも人工股関節にすることが悪であるかのようにも受け取れる記述ばかりで
いたずらに手術への恐怖心をあおっているようにも感じられた。

敷居の高い医学書でもなく、書店の棚にならべられた専門書でもなく、
スーパーのレジ横にも並べられているくらい気軽な、たやすく手に入る雑誌だからこそ、
編集者は多方面からの意見を正しくわかりやすく誌面に盛り込む必要があったのではないだろうか。

例えば私の症状一つを例にあげてみても、
手術を受けることが必ずしも悪いことではないことはおわかりいただけるかと思う。。。

私は先天性股関節脱臼でもなければ、臼蓋形成不全でもない。
それどころか臼蓋の前面に軟骨が出来てしまっていて、普通の人よりも“かぶり”が深かった。
そして、その軟骨が邪魔をしていたために膝を胸に抱えられなくなっていた。

人工にした時にその軟骨を取り除いてもらったので、手術によって可動域が広がり
むしろ私の場合、術前よりも靴下が履きやすくなったのだ。

体操やマッサージで、果たして私のような“物理的に無理のある骨格”の可動域が
広がるなんてことがあるだろうか?

整形外科に行ったら「手術しましょう」と言われてしまうのがイヤだという理由で
自分の状態をきちんと把握しないまま、整体や鍼灸に頼り続けることは
症状を悪化させることにつながり兼ねない危険性をはらんでいると私は思うのだ。

股関節症の症状は人それぞれだ。

レントゲンやMRIで自分の骨の状態を認識することは
どんな治療に頼るにせよ、まず必要なことだと思う。

この誌面に書かれていることが間違いだとは言ってはいない。
手術を受けるにも、手術を受けずに強くしなやかな股関節にしようとするにも
いずれにしても、股関節症を克服するには相当な覚悟と努力が必要なのだ。

どうか、股関節症のみなさんが、ご自分の症状をしっかりと自覚し
それぞれに適した治療法を見つけていっていただきたいと思う。

少なくとも「安心」を読んだだけで手術を避けられるような気になって
安心していてはいけないと私は思う。



        ※ 5日16:40、文章の表現を一部修正しました。。m(__)m。
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